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コラム

えっ!日本の在来種ではないの・・・part②

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えっ!日本の在来種ではないの・・・part①

ナンテンナンテン

【ナンテン】(南天)

日本の中部以南に自生するとされていますが、中国から渡来したものが野生化した可能性もあります。その理由として、和名のナンテンが中国名の「南天燭」または「南天竹」の略であること、さらにはナンテンには「方言」がまったく無いことがあげられています。

音が「難を転ずる」に通ずることから、縁起の良い木とされ、鬼門または裏鬼門に植えると良いと言う俗信があります。福寿草とセットで、「災い転じて福となす」とも言われています。

ナンテンの毒は、樹皮、新芽、葉、実、など株全体に及び、痙攣、神経麻痺、呼吸麻痺などの毒症状が知られています。 ただし、葉に含まれる猛毒・シアン化水素(俗称『青酸』。化学式HCN)は含有量が僅かであるため、よほど大量に摂取しない限り危険性は殆どなく、『南天葉(なんてんよう)』という生薬にもなっており、健胃、解熱、鎮咳などの作用があるそうです。食品の防腐にも役立つため、彩りも兼ねて弁当などにも入れられますが、これはむしろ、薬効よりも『難を転ずる』という食あたり防止の呪い(まじない)の意味という説もあるようです。

ナンテンの実(果実)は『南天実』と呼ばれる漢方薬として知られ、実を乾燥させたものは咳止めの効果があり、喘息、百日咳に用いられ喉飴としても市販されていますが、本質的にナンテンは有毒で、庭から取ってきてそのまま生で食べたり、安易に試したりするのは危険ですから決してしないでください。

しかしながら、毒を含んでいるはずの実が紅く熟すと、いつの間にか野鳥がすべて食べ尽くしてしまいます。無毒でおいしい果実を付けると、鳥はそこに長い時間とどまって、果実を食べ尽くしてしまう。小鳥は果実のなっている母樹のすぐ近くに糞をするので、種子は遠くに散布されないことになる。「果実に少し毒を含ませておくと、一度に大量の果実を食べると障害が発生するので、少し食べて他の場所に移動し、違う食べ物を探すことになる。移動した後に糞をするので、種子はもくろみ通り母樹から離れた場所に散布される。」という見解があります。なるほど、と納得します。

【モウソウチク】(孟宗竹)

わが国に生育しているタケ類は20数種です。その中で食用になるのは6~7種で、一般に私たちが食べているものは中国・江南地方が原産とされる孟宗竹です。雪の降る日、「タケノコを食べたい」という病身の母親のために、寒中竹林に入り、タケノコを掘ってきた孟宗(人物名)の美談にちなんで名付けられたと言われています。この「孟宗」とは、中国の三国時代(後漢滅亡後、魏・呉・蜀の三国が対立した時代で220~280年)の呉国の人の名前です。しかし原産地の中国には「孟宗竹」という呼称はなく、タケノコの産地として有名な西湖近くの法華山一帯からとれるタケノコを「毛筍(もうしゅん)」と呼ぶので、これに親孝行な少年の名である「孟宗」の文字を当てたとも言われています。中国では「江南竹(こうなんちく)」と呼ぶそうで、「孟宗竹」と呼ぶことは過去にも現在も無いようです。

元文元年(1736)に第二一代薩摩藩主 島津吉貴が琉球から取り寄せ、鹿児島の磯庭園に植えたのが最初とされ、それ以降全国に広まりました。今では日本のタケの中でもっとも広く分布し、竹藪は「日本的な情緒のある風景」となっています。モウソウチクのような大型の帰化植物が自然に分布を広げている例は非常に少ないです。

竹林は日本の里山の代表的風景でありましたが、利用価値が少なくなり、手入れのなされない放置竹林が各地に増え、様々な問題(生物多様性の劣化、里山荒廃化など)となっています。1960年頃から、燃料革命によってこれまでの雑木林が放置され、1970年頃からの安価なタケノコの輸入増加によって、国内のタケノコ生産が落ち込みました。そのため放置されたモウソウチクが容易に雑木林や人工林に浸入し、丘陵地を覆う姿が各地に見られる様になりました。モウソウチクの拡大していくスピードは2~3m/年といわれています。また、竹林面積の2/3は管理を受けておらず、モウソウチク林の下層には、他の植物が生育しないので、雑木林の豊富な植物種、昆虫、さらには動物までのすみかが奪われ、里山の生物多様性の面からも要注意と言えます。

グンゼ株式会社も5年前よりCSR活動の一環として『京都モデルフォーレスト運動』に参加して、綾部市小幡地区の里山の広葉樹林や竹林の整備を行っています。

モウソウチク(左)京都嵐山の竹林(モウソウチク)きれいに管理されています。(右)綾部小幡地区でのモデルフォーレスト活動

【キリ】(桐)

キリキリ

桐の原産は中国大陸で、我が国には飛鳥時代の頃に渡来して各地で植栽されるようになりなした。野生化したものは殆どなく大部分が栽培されているものです。

「桐」の名が最初に見られるのは『万葉集』です。題詞に「梧桐日本琴」とありますが、これはアオギリを指すとの説も有ります。『枕草子』には美しい木の花としてキリが記述されています。『源氏物語』の「桐壺」は宮中にこの木が植えられていたことに由来します。

良質な家具材となるため、かつては女の子が生まれるとキリを植え、嫁ぐときにそれで箪笥を作りました。

中国では、桐は鳳凰が親しむお目出度い樹として崇拝され、我が国においても菊とともに皇室の紋章や神紋にも用いられ、高貴なものとして扱われています。五三の桐、五七の桐、唐桐などが紋所の図柄として有名で、その変形も多く、明治時代に正式に皇室の紋章になり、皇室の紋章は「五七の桐」で民間では「五三の桐」を選ぶのが慣例となっています。

家紋(左)五三の桐(中央)五七の桐(右)六つ唐桐

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