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コラム

植木産地 池田市の歴史

大阪府池田市細川は、古くから「日本の四大植木生産地」の一つに数えられ「植木のまち」として全国的に知られて来ました。「四大植木生産地」は、埼玉県川口市安行周辺・愛知県稲沢市・大阪府池田市細川周辺・福岡県久留米市田主丸周辺とされています。

(池田市細川の植木生産風景)(池田市細川の植木生産風景)

池田市は、弊社関西営業所(兵庫県尼崎市)から車で約20分の距離にあります。その為、池田市へは毎日のように集荷のトラックが周り、商品の出荷をして頂いています。
今回は、「植木のまち」として発展した池田市細川の歴史をご紹介します。

細川における植木栽培の起源は確かな定説が無く、十六世紀半ば、あるいは十七世紀半ばとも言われています。いずれにせよ江戸時代初期には多種多品目の苗木・成木・盆栽等が生産されていたようです。1805年には23万本のコウゾ苗を九州へ送ったという記録が残されています。この頃には細川の植木は、全国から名声を得ていた事がわかります。特に細川の木部地区におけるボタンの生産は有名で、江戸時代後期には白ボタン172種類、赤ボタン161種類が栽培されており「木部のボタン」ブランドとして全国に出荷されていました。昭和初期までボタンの生産は行われていましたが、残念ながら現在細川でのボタンの生産は行われておらず、島根県や新潟県へと産地は移っています。

細川の植木栽培における高度な接木技術の定着には、接木の名人六蔵さんが大きく貢献したとされています。六蔵さんは、紫震殿左右の桜・橘が1652年の火災で消失した際に、焼失した橘に接木を行い見事活着させた事から「橘兵衛」の名を賜ったとされています。

 細川が植木産地として発展した要因としては、接木などの技術の定着とは別に自然的要因があります。

具体的には、

  1. 冬季は積雪量が少ない温和な気候、夏季は高温で雨が多い
  2. 「杖でも挿しておけば芽がでる」と言われるような排水の良い土壌
  3. 木部、東山一帯からの特殊な湧き水

等があげられます。③の特殊な湧き水は、硫黄州臭が強く、その成分はなんと市販薬品「メネデール」によく似ているようです。この湧き水の成分が、植木の発芽、発根に効力を及ぼしているのです。また、細川の中河原、東山、古江地区の赤土は丸味を帯びた花崗岩性の粗粒である為、植物は細根をよく密生させます。私が入社当時、細川の生産者さんに「ここらの植木は、枯れまへん…」と教えて頂きましたが、細川の歴史を調べたおかげで、その理由がわかりました。

池田には、「織姫伝説」という伝承が伝わっています。それは、応神天皇時代に呉の国より呉織(くれはとり)と漢織(あやはとり)と呼ばれた織姫が池田に迎え入れられたというものです。ここからは、細川の生産者さんに伝わる伝承ですが、この「織姫伝説」が細川における植木生産の起源に関係しているそうです。迎え入れられた二人の織物技術者のお陰で、この地に絹織物の産業が興った。それに伴い養蚕が盛んになり桑苗の生産も行われるようになった。この桑苗の生産技術が、後の植木生産へと発展していったそうです。

この植木生産の起源にまつわる伝承が事実であるとすると、グンゼグリーンが養蚕事業の桑の生産者と共に緑化事業に着手した歴史と似たものがあると感じました。

 現在では、流行りの樹種も多く生産されていますが、古くからの伝統的な樹種や仕立物の生産もしっかり継続されています。流行りと伝統が入り混じる「植木のまち 池田市細川」へ是非お気に入りの1本を探しに来てください。  関西営業所 AR 報

(左)松苗生産(右)畑に張り巡らされた水路(左)松苗生産(右)畑に張り巡らされた水路

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